子供って急に色んな事が出来るようになります。
少し前まで出来なかったことが、急に出来るようになりますし、その変化に気づくと、親としてはかなり嬉しいです。
そして、その嬉しい出来事のひとつが、「言葉」の発達だと思います。
子供が産まれてから、会話という会話が出来ませんから、親としては待ち遠しい気持ちですよね。
何を考え、何を訴えているのか、わからない時期が一年以上続きます。
子供が泣いたり、笑ったりする様々なリアクションひとつひとつを、読み取るのも大変です。
そして、喃語を話し始めると、それはそれで嬉しいですが、さらにしっかり言葉を話し始めると、またひとつ世界が広がります。
ウチには6歳差の長女と次女がいますが、その言葉の発達について話してみようと思います。
言葉の変化
次女は1歳5ヶ月になりました。
まだまだ喃語を話しますが、ずっと何かを呪文のように話しており、とってもおしゃべりです。
そして、その喃語の解読って難しいです。
だけど、解読出来たときた時は、すごくスッキリします。
長女が喃語を話し始めたときは、「あぼじー、あぼじー」と話している事があり、その言葉が印象的でした。
その時は何のこっちゃか、全く分かりませんでした。
だけど、少しずつ言葉を話せるようになると、「あぼじー」が変化していきます。
その時初めて、何を言おうとしていたか判明します。
「あぼじー」の正解は「アンパンチ」だったようです。
よくアンパンマンを見ていたので、自然と覚えたんでしょうね。
「あぼじー」を言うタイミングやニュアンスが、急にアンパンチに近すぎ、そして、はっきりと話せるようになるので、夫婦で驚き、解読出来たときの、スッキリした記憶が未だに鮮明に残っています。
今ですら、何度もずっとその話をしてますから、楽しい思い出です。
ちなみに次女は「ちったー、ちったー」と、話していましたが、急に喃語が変化し、はっきり話すようになりました。
「ちったー」の正解は、「できた」でした。
言葉の解読もスッキリしますが、成長を感じるひとときであり、嬉しい気持ちでいっぱいになります。
他にも、「イヤだイヤだ」「コレね、コレね」「(ご馳走さまで)したっ」「はい(どうぞ)」「ママ」「パパ」「ねーね」など、話せる言葉が増えました。
それに、普段からずっと喃語と、しっかりした言葉が入り混じっており、この時期ならではの、楽しいひとときです。
ちなみに、一番最初にはっきり言えるようになった言葉は、「ごーはん」でした。
食事が大好きなのと、毎日声をかけながら行う事なので、覚えが早かったのかもしれません。
興味があるモノや、好きなモノに対しては、言葉の理解が進み、早くに話せるようになるんだと思います。
言葉の理解
1歳5ヶ月頃の子供は上手に話せなくても、私達が話していることを、かなり理解し始めています。
「ご飯食べるよ」と声をかければ、急いで自分の食卓椅子に座ろうと近づきますし、「お風呂に入るよ」と声をかければ、お風呂場に向かおうとします。
悪いことだって理解してします。
オムツを変えようとすると、にやっと笑い、遠くに逃げ、近づいては、また逃げを繰り返します。
言葉の理解と共に、何かをすれば、どうなるのか分かるので、こちらのリアクションを楽しんでいるのでしょうかね?
やっと、言葉を理解し始めたのが嬉しいけど、急いでいるときなんかは、腹が立ちますよね(笑)
おちょくられてるのかと思います。
けど、長女のときも、同じようなアクションをしていたので、懐かしくも感じます。
これから、発語も言葉の理解も一気に進みます。
たからこそ、親の言動には注意しないといけないかもしれません。
子供って意外と親の言動を見たり、聞いています。
悪影響を及ぼさない程度に、私達自身の言動を改めて見直さないと、変な癖を覚えてしまうかもしれません。
この時期の子供の吸収を、舐めてはいけないと思います。
良いことも悪いこともなんでも覚えるので、今から見直すことがとても大事です。
これからが本当に楽しみです。
次は何を話し出すのか、何をするのか、何が出来るようになるのか…
長女の影響力
次女は6歳年上の長女(ねーね)がとても大好きです。
親に対する態度と、ねーねに対する態度はまるで別人の様です。
ねーねも次女が大好きですので、面倒をよく見てくれます。
遊び相手の対象も、ねーねが一番ですし、寝ていても起きていても、いつも隣にくっついています。
そのため、最高のお手本が近くにいる事が、次女にとって、良い刺激になっています。
年が近すぎず、遠すぎず、6歳差はちょうど良い年の差で、それが良い距離感です。
幼い時期は特にですが、年齢が近すぎると、相手にしなかったり、遊び相手にならなかったり、喧嘩したりすると思います。
そもそも上の子の年齢が幼すぎて、自分の事もままならないので、お手本にはならない事もあると思います。
逆に年が離れすぎても、一時は、上の子が下の子の遊び相手になれても、ずっとは難しいかもしれません。
小さい子って、同じ事を永遠に続けますからね。
きっと、つき合いきれなくなると思います。
それに、大人すぎていると、子供ならではの、(おバカな?)はじけた自然体の遊び心もなくなり、逆にお手本(マネ)の対象にはなりずらいと思います。
ちなみに6歳差であると(ウチの場合かもしれませんが)、絶対喧嘩はしませんし、永遠と遊んであげられ、構っていられます。
はじけた自然体の遊び心だって、まだまだ有り余っています。
そして、長女自身は何も思っていないと思いますが、何気ない普段の言動が、ちょうど良いお手本になってくれています。
幼すぎず、大人すぎず、その中間な存在であり…
とても表現し難いのですが…
…ちょうど良い年齢差の存在です。
そのおかげか、言葉の発達も、体の使い方も、マネをしますので、その影響力に、次女の成長が助けられている部分がとても大きいと感じます。
初めは、そんな6歳差であることを、残念に思うこともありました。
幼稚園や小学校だって入れ替わりになりますし、成長すると、遊び相手としてだって物足りなくなったりするかもしれないなど。
だけど、良いことの方が多い気がします。
まとめ
話はだいぶ戻りますが…
親も長女も、早く次女とおしゃべりをしたくて、首を長くして待っています。
一緒におしゃべりをするには、もう少し時間はかかりそうですが、たくさん話し掛けてあげて欲しいですし、たくさん色んな言葉を教えてあげて欲しいと思います。
私にとって、お互いのことを大好きな姉妹が、どんどん成長していく様子が楽しみであり、何より幸せな時間です。
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